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メンタルナースマンDAIKIはなぜ看護師になったのか?

メンタルナースマンDAIKIはなぜ看護師になったのか?

メンタルナースマンDAIKIとはどんな人・・・
メンタルナースマンDAIKIの看護師になりたいと思った理由は?

それでは自己紹介も兼ねてかなり長くなってしまいましたが
看護師になろうと思った理由を書きます。

できれば最後まで読んでもらえれば嬉しいです。
噂では途中で右上の×ボタンを押す人が
続出しているらしい・・・^^;


本当はまだまだ続きはあるけどこれでも大幅カット^^;
脱落者続出自己紹介って・・・
最後までいきつけたら拍手ですねw

それでは行ってらっしゃい^^

職業は精神科の看護師です。

ストレスが多いこんな世のだからこそ、カラダの健康はまずはココロから・・・
社会の変化と共にココロの病気が増えているような気がします。


体の健康を気をつける人が多いですがココロの健康は多くの人が甘く見ています。
私は現在、看護師として日々働いていますが看護師になる前は、
医療業界とは全く関係ない社会人を経験したのち看護師への道を歩むことになりました。


なぜ看護師・・・ 
ではなぜ・・・
看護師とはまったく無関係な仕事をしていた私が看護師になろうと思ったか・・・

職業選択

私が看護師を目指そうとした当初、(20年前)男性が職業を選択する中で、
看護師という職業は、私の職業リストにはありませんでした。
2022年現在では、多くの男性が医療職についています。

私の周りに医療関係の仕事をしてる人がいなかった事も関係しているのか・・・
男性で看護師が出来る事を全く知りませんでした

では、なぜ私が看護師という職業を知り、看護師になろうと決めたかというと・・・

父親の病気

看護師という職業を選んだ理由の前に
まずは私の父親の話をしておかなければなりません。


私の父親は、数十年前に糖尿病と診断され、何度か入退院を繰り返していました。
そして、私が20歳の時に血糖のコントロールのために入院していた時のことなんですが、
父親は約1ヶ月の入院治療のかいあって血糖もコントロールでき、
そろそろ退院しようかという話が出ていた時です。

母親の人生を変える言葉

父親は『背中に痛みを感じるような気がする・・・』と言いました。
それを聞いた母親は『ついでだから検査をしてみたら・・・』

と言う言葉が全ての始まりでした・・・。

検査をしてみると、すい臓が悪いという事がわかりました。
その病院の主治医は、
『ここでは詳しい検査ができないので病院を紹介しましょう』と・・・

この病院も500床以上あるかなり大きな総合病院だったのですが、
その総合病院ですら出来ない検査・・・
ここで出来ない検査とはどんな検査だ!!とつっこみたくなったのを覚えています。

父親の存在

その大きな病院とはある大学病院でした。
その病院で父親はさまざまな検査を行いました。


食事は検査のためほとんどとれず毎日点滴づけ・・・
80㎏ちかくあった体重も60㎏台に減っていました。
父親は『最近、食べ物の夢をよくみるんだよね・・・』と苦笑いをしていました。

私にとって父親という存在は、威厳があり、
とても厳格で恐ろしいというイメージだったのですが、
この時ばかりは、父親の存在が小さく弱々しく感じました。


そんな父親を見たことがなかったので、
とてもショックだったということを今でもはっきりと覚えています。

祖母の言葉

検査もようやく終わり、病院から自宅に電話がありました。
(検査の結果と病状説明についての内容です。)


先日亡くなった祖母は私に言いました。
『あんたも20歳なんだから説明を一緒に聞いてきなさい』と・・・

検査結果・病状説明

検査結果と病状説明を聞くために私と母親は病院に行きました。
数枚のレントゲン写真がある部屋に通されました。

主治医は、父親、母親、私に向かってレントゲン写真を指し、
ホワイトボードに絵をかきながら手術の説明を始めました。


『ここがすい炎で・・・ ここを切って、ここをつないで・・・』
という感じで一通り簡単に説明をすると、
主治医は『ここからは手術中の合併症の話をするんでお父さんは部屋に帰って下さい』
主治医は父親を部屋から出した。


※現在では、手術を受ける患者様には手術に対する
メリットやリスクを伝えたうえで患者様もしくはその家族などが
それを理解し納得したときに同意書にサインをもらうというのが一般的です。


しかし、20年前は今のように患者本人には、全てを伝えず家族に判断を委ねていました。
現在でも主治医と家族の話し合いで伝えないもしくは、
部分的に伝えるなどの手段をとっていることはあると思います。

主治医の顔つきが突然

父親がその部屋から出ていった・・・
私と母親は顔をみあわせた・・・
父親を出した意味がよくわからなかった・・・


次の瞬間、主治医の顔つきが突然かわった!!


主治医は先ほど説明していたレントゲンや絵を指でさし・・・
『ここがガンですね・・・』と・・・
さっきはすい炎と言っていたのに・・・


当時、私は看護師でなっかたためすい臓ガンがどのようなものか
詳しくは知りませんでしたが『ガン』という言葉を聞いただけで動揺していました・・・。


そして、主治医は続けて『もってあと1年でしょう・・・』
『最悪、手術中になくなる事もあるかもしれませんので覚悟をしておいて下さい。』と言いました。

ドラマの1シーン

ドラマなどではこんなシーンを見たことがあるが、まさか本当にあるとは思っていませんでした。
目の前は真っ白になり、父親との思いでが次々に浮かんできた・・・
その部屋にはしばらく沈黙の時間が過ぎた・・・


今、考えればあの部屋から出された父親は何を思ったのだろうか?
もともと父親は無口で多くは語らなかったので、
私たちに何も聞かなかったが、分かっていたのかもしれない。
私たちは主治医の話を聞いたあと父親の部屋に戻らなければいけなかったが、


どんな顔をすればいいのか? 


どんな話をすればいいのか? 


20歳の私にはわかりませんでした。


ただ主治医に『もし告知をするのなら私どもに一言お知らせ下さい。
手術をするにあたり信頼関係がありますから』と言われていたので
顔には出さないようにしなければいけないと思っていました。


実際はとても不自然な顔をしていたのだろうと思うが・・・ 


その時は必死だった。


病院から出てからが辛かった・・・


母親は何もしゃべらず、ただ沈黙の中バスが来るのを待った。

奇跡はあるのか・・・? 

主治医の話によると、すい臓ガンは発見された時はほとんどが末期だそうだ。
お腹を開いて見ないと分からないこともあるが覚悟はしておいた方がいいと言っていた。


しかもその病院にはとても有能はすい臓ガン専門の先生がいるのだが、
その先生でさえ、何百人ものすい臓ガンの手術をしているが9人(5年生存率)しか
助かっていないという。


この事を聞いた私たちは、父親が助かる見込みはほとんど奇跡だと思った・・・。

涙・涙・涙。

その日から私は毎日のように泣いた。
涙がなくなってしまうのではないかというくらい泣いた。
父親とのいい思い出ばかりが頭に浮かんできてもっとこうしておけば良かった。


もっと話をしておけば良かった・・・とばかり思っていた。

手術の結果は・・・

手術中に死んでしまうかも・・・と言うことであったが十数時間の大手術は成功した
昔から親より先に死ぬことは親不孝とよくいわれていますが・・・


1本の電話がこれからの人生を大きく変えた!!

手術も無事成功しとりあえずは一安心していた。
そこに1本の電話があった
それは病院からでした。

『・・・・』

『・・・・』

10人目の患者!奇跡を信じて

『○○さんは10人目の患者さんになるかもしれませんよ・・・』
という内容だった。

奇跡は起こった !!

手術後、少しづつ回復し、数ヶ月の休養後に仕事への復帰もすることが出来た。
その時にはいつもの平和な時間が流れていた。

自分勝手な行動へと突き進む・・・

当時、私勤めていた会社をやめ、友だちと2人で独立、一攫千金を夢見て、仕事を始めていました。
しかし、父親はその仕事には反対していました。


なぜ反対していたのかと言うと、
父親はサラリーマンのためリスクの高いものを嫌ってていたからです。


顔を合わせるたびに『ちゃんとした会社に入りなさい。』と言っていました。


人間とは、とても都合のいい生き物である。
父親が病気をしている時は、もっとこうしておけば良かったと思っていたが、
いつも通りの生活が始まると、父親の言葉なんて聞かずに『大丈夫!大丈夫!』と言っていました。


そして数ヶ月の出張をおえて久しぶりに自宅に帰った時の事です。
母親が私に『最近、お父さんがまた調子が悪そうなんだけど・・・』と言いました。
私はその瞬間、ある言葉が頭の中に飛び込んできました。

世界に一つの特効薬 

その言葉は何かと言うと、手術前にあった病状説明で主治医が言っていた言葉でした。
『心配をかけないことがお父さんにとっての1番いいクスリだよ。』
その時は、聞いてはいましたが、あまり意識することなく忘れていたが、
母親から父親の体調不良の知らせを受けたことで、急に頭の中にこの言葉が飛び込んできた


そして、私は思った・・・


私の今の状況は、父親に心配をかけているのではないかと・・・

恩師からのアドバイス

友だちと独立・一攫千金を夢見て約2年間一緒に頑張ってきたのに・・・と
申し訳ないとは思いいつつ、どうして良いか分からないため、父親の病気の事も知っている恩師に
今後の人生の方向転換についてアドバイスを受けるため会うことにした。


その先生は快く相談にのってくれた。
そして、その先生は私にこういった。
『今から医者になることは難しいかもしれないけど看護師という職業もあるんだよ』

というアドバイスをくれた。


看護士・・・


平成26年現在では看護士ではなく男も女も看護師と名称が変更されています。
以前は男性が看護士で女性が看護婦とよばれていました。


男で・・・病院で働く・・・?


介護をする人だろうか?


看護婦さんならしっているけどみんな女性のようなきがするけど・・・?


いろいろ頭の中で考えては見たが、さっぱりわからない・・・
先生に『看護士ってどんな仕事ですか?』と聞いた。


すると先生は『看護士っていうのは女性でいう看護婦の事ですよ』と答えてくれた。
男性の看護婦さんがいるなんてしらなかった・・・

1999年の夏・・・


私が看護師という職業を初めて知り
看護師になろうと思った瞬間でした!!

看護師になろうと思った理由

私が看護師になろうと思った理由は父の病気がきっかけでした。

人それぞれきっかは違うだろうけど看護師になりたいと思う気持ちは同じです。
たくさんの仲間との出会いを大切にこれからも看護師として、
ほんの少しでも人のため世の中の為に貢献できるように努力をしていきたいと考えています。

看護師になりたい理由は様々です。正解なんてないと思っています。
看護師になろうと思った事は絶対に忘れずにこれからも患者さんと向き合っていきたいですね。

同じ悩みを持つ仲間のために

まとめた考えを、同じ悩みを持つ人たちの為にも公開しませんか?
私のもとには、たくさんの『看護師になりたい』が届いています。

私に寄せられた熱いメッセージは、
これから転職を考えている人・看護師を目指す人
漠然とした理由で看護師を目指す人のために、
私が運営するメルマガもしくはサイトの方でプライバシーに配慮して掲載させて頂きたいと思います。


よろしくお願いします。
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